種子島の民話「娘の年八十八歳まで」

種子島の民話

発行所 株式会社 未來社
発行者    西谷能英氏
編者     下野敏見氏
日本の民話34 種子島の民話第二集よりお伝えします。

 

 

娘の年八十八歳まで

 むかしむかし、ある所に娘と両親との三人暮らしの家がありました。娘は、朝は星のあるうちに起き、夕方は星が出るまで働くという評判の働き者で、両親は嬉しいながらも、
「あんまり無理をして、体を壊せばいけんがなぁ」
と心配するくらいでした。
 娘が十七歳の年の暮れ、一夜明ければ正月で、娘は十八になるという大晦日、いつもの通り早く起きて、泉に水汲みに行きました。
 その泉は三文字(三叉路)にありました。娘が大きな桶にせっせと汲んでいるところへ、南から大きな体の和尚さんが通りかかって娘をしげしげと見ながら、
「この娘ぁ奇妙な娘じゃ」
と言って、行き過ぎました。娘はたいして気にもせず水汲みを続けていますと、今度は東の方から小さな体の和尚さんが通りかかり、
「この娘ぁ奇妙な娘じゃ」
と、体の大きな和尚さんと同じことをつぶやいて、先の和尚の行った方へと急いで行かれました。
 こうなると娘も何か気にかかり、大急ぎで家に帰ると、両親に今の出来事を詳しく話しました。
「これは何か分けがあるに違いなか。その二人の和尚さんなどっちの方に行かったか、すぐに後を追うて、我が家さなぁ来ておくじゃり申せと頼まんばじゃ。」
 両親はそう言ってすぐ娘をたたせました。娘は大急ぎで、和尚さんたちの行った後を追いました。やがて三文字があって、幸い和尚さんたちは北に行くか南に行くかで相談しているところでした。娘が、
「和尚様、私の親達が、どうしても和尚様に来てもらいたかと申しますが、どうか来ておくじゃり申さんか」
と頼みましたところ、二人の和尚さんは早速
「それじゃぁ、参上し申そう」
ということになりました。娘は一足先に引き返して父母に話しました。両親は喜んで、
「そんなら、すぐ木戸に出てお待ち申せ」
と言いましたが、門の所まで来て見まわしますと、いかにも物寂しくその上散らかっています。
「お二人の和尚さんをお迎えするのにこんなことではあいすまん。」
 娘は急いで掃除をし、門木にはしめ縄をひき、まて(カシ)の葉、炭、もろば(ウラジロ)、ダイダイも結び付けて飾りました。
 まもなく和尚さんたちが来ました。二人は垣や門の祝いものをじっと見てから、
「よく出来た。まてまつ炭だいだいもろともに」
と歌を詠みました。
 和尚さんたちを家の中に上げてから、父親が言いました。
「お願い申したところすぐにおいで下さり申してありがとうござります。」
すると和尚さんが、みなまで言わせず、
「実はな、その娘さんな、わざい(大変)真面目なよく働く娘さんじゃが、惜しいことにゃ十八の年をとったら命がなくなるから、それを心配したわけじゃったが」
と言いました。聞くなり、、娘も両親もアッと息をのみ、和尚さんたちの顔をかわるがわる見つめました。やがて、父親が思いつめた様子で、
「それはまたなんちゅう情けないことでござり申そうか、寿命じゃと言われぇば仕方が無かようなものの、そこを何とか良か方法はござり申さんろうか」
と頭を下げました。和尚さんは、しばらくじっと考え込んでいましたが、
「それはまぁ、無いこともあるまい、こけぇ(ここに)台帳があるから調べてみろう」
と言って、台帳を熱心にめくっていました。やがてポンと膝を叩いて、
「うん、こらぁ良か具合になっとる、年八十八歳という長者の所がまだ誰も決まっとらん。こけぇ娘さんをはめ込んでやろう」
と言いました。両親の喜びようは大変なもので、
「是非、そがぁに(そのように)願ぁ上げ申す」
と、額を畳に擦り付けます。
「娘さんなぁ、今十七歳、明日ぁ十八歳じゃが、もう八十八歳まで長生きをさせ申す。その代わり、八十八歳になった時にゃ、必ず米のお祝いをせんといけ申さんど。」
 和尚さんは諭すようにこうおっしゃいました。親子三人は心から喜んで和尚さんたちに真心を込めてご馳走をしました。
 今も、八十八歳になった時、米寿の祝いをするのは、こういういわれがあるからだそうです。
 また、家を清めて、門木にいろいろなものを飾って和尚さんを迎えたのにちなんで、今も正月には門松を立てて祝うのだそうです。