種子島の民話 「新太のカモとり」

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種子島の民話

発行所 株式会社 未來社
発行者    西谷能英氏
編者     下野敏見氏
日本の民話34 種子島の民話第二集よりお伝えします。

 

 

新太のカモとり

 種子島の一番南に、種子島で一番大きな池があります。茎永部落にある宝満の池がそれです。
 深い緑の森に囲まれた周囲一キロのこの池は、数々の伝説を秘めて青々と澄み切っています。そして毎年冬になると、島でこの池にだけ数千羽のカモが渡ってくるのです。
 このカモを捕るには、何月何日から何日までとちゃんと期日も決まっていて、その間に宝満神社に申し出て許しを受けなければなりませんでした。カモとりの方法は、カモの通り道に網を張って、それにかかるのを待つというやり方でした。
 さて、茎永に新太という狩人がいました。宝満の池のカモの群れを見ながら、どうしたらカモがたくさん捕れるかということを考えました。網を張って獲物を待っていたのでは、捕れてもたかが知れています。
 新太は考えに考えた挙句、とうとう一計を案じました。
 ある日、新太は裸になって腰には長い縄帯を締め、樽をかぶって泳ぎだしました。蓮の葉の間を波を立てないように静かにカモに近づきました。が、カモは一向に逃げません。近寄ってくる樽を、材木が流れてくるとでも思ったのでしょう。
 新太はカモの群れの中に首尾よく入り込み、手当たり次第に捕まえては腰に繋ぎ、捕まえては腰につないで、とうとう二、三十羽も生け捕りました。
「こらよいことをした。我ながら良か手(方法)を思い付いたもんじゃ」
と新太は一人、有頂天になって喜びました。ところが、どうしたはずみか、腰につないでいた二、三十羽のカモが一斉に羽ばたいたのです。
 するとどうでしょう。カモも力を合わせると強いもので、新太をぶら下げたまま、バタバタと飛び立ち、瞬く間に空中高く舞い上がってしまいました。
 上から見ると、宝満の池が小さく青く光って、自分の足よりも小さく見えます。冬の空は透き通るように青く、目の下には緑と青と白砂が素晴らしい変化を見せて広がっています。
 でも、新太は今は眺めどころではなく、顔色もかねての新太ではありません。息の止まるような恐ろしさの中でただ一心に神様に祈るばかりでした。
 宝満の池の数千羽のカモの群れは、白く渦巻いて霞のように新太の周りを飛び回っています。
 やがて、新太をぶら下げたカモの群れは、西の方へ向くと屋久島めがけて飛んでいきました。
 新太は恐る恐る目を開けて下を見ると、冬の日を冷たく映して、うねり波打つ大海原です。いつの間にか、種子島と屋久島の中間まで来ているのです。
 新太は裸で冬空に晒されているのですが、油汗が噴き出るように流れます。ただもう、心から宝満の池を汚したことを神様にお詫びするばかりでした。
 やがて、屋久島の山々の雪をいただく頂が、ぎらぎらと輝きながら近付いてきます。
 ところがどうしたことか、突然カモたちは向きを変えて、種子島の方へ引き返し始めました。今度は島間岬を大きく右に回り、立石、砂坂の上を飛んで、門倉岬の上まで来ました。
 しかも幸い、こと時はカモもずいぶん疲れたと見えて、高度をグンと下げ、地上すれすれまで来ていました。少し希望を取り戻した新太がふと下を見ると、つんなめ(とべら)の木があって、だんだん近寄ります。新太は震えるような気持ちで手をいっぱいに伸ばして、ちょうどその木の真上に来たとき、むんずと枝にかじりつきました。
 さしものカモも、必死で木にしがみついた新太の手を引き離すことはできません。二、三十羽のカモも力尽きてそこへ落ちてしまいました。こうして新太は危ない命を取り留めました。
 それから新太は、本村を通って三里の道をふらふらと歩きやっと茎永に帰りつきましたげな。